ボートレースの最年長女子レーサーで、“艇界のグレートマザー”として人気だった日高逸子(63)=福岡支部=が引退することが21日、分かった。日高は1985年5月にデビュー。通算2539勝(女子歴代2位)、優勝76回(同2位)。G1は16度優勝戦に出場し2V。生涯獲得賞金は女子歴代1位となる11億4400万3198円の記録を残した。
日高がついに引退を決断した。日本モーターボート競走会には、すでに引退届を提出済み。22日に自身のブログでファンに引退を報告する。
スポーツ報知の取材に「引退を決めた理由はたくさんあります。大けがをして今も膝とか足首が痛いし、目も見えなくなってきてフライングはするし、そういう肉体的な面に加えて、優勝もできなくなったし、人と争うのが嫌になってきたというか。それでもファンからは期待されますからね。以前はボートに乗るのが楽しくてしょうがなかったのに、最近はそれも楽しくなくなってました」と話した。
ラストレースは今年4月の桐生ヴィーナスシリーズとなった。4月4日の4日目9R(3着)を走った後、途中帰郷。7月17日までフライング休みの予定だったが、G2レディースオールスター(とこなめ)を含め、フライング休み前に入っていたあっせんもすべて削除。「体は大丈夫です。しばらく休みたくなりました。復帰したらよろしくお願いします」と話し、長期休養に入っていた。
休養中は1人で世界一周の旅に出た。3か月をかけて、アラスカ、パナマ運河、メキシコなど、思う存分に自由を満喫した。「休んでいる間、世界一周旅行をしてあまりにも楽しかったので、また行きます。その先のことはまだ考えてないですね」と2周目を示唆した。
偉大な先輩の死も引退の一因となった。今年3月1日、史上最年長ボートレーサーだった高塚清一さんが77歳で死去した。「目標にしていた高塚清一さんが亡くなったのも大きかったかな」と振り返った。
一番の思い出のレースには2014年の大みそかに行われた第3回クイーンズクライマックスを挙げた。「53歳で勝てたレースです。でも、優勝したレースは、どれもうれしかったですよ」。インからコンマ01のど根性スタートで押し切った。
23歳でデビューしてアイドルレーサーとして、妻として、母として走り抜いた。「ここまでやってこられたのはファンの声援があったからこそ。応援していただいて、本当にありがとうございました。すごく感謝しています」。“艇界のグレートマザー”が、40年の現役生活に別れを告げた。
◆日高 逸子(ひだか・いつこ)1961年10月7日、宮崎県出身。63歳。1985年5月、56期生として芦屋・一般戦でデビュー。87年5月、桐生・一般戦で初優勝し通算76V。G1は2005年3月、大村・女子王座決定戦で初V。昨年5月には歴代44人目、女子では山川美由紀に続いて2人目となる通算2500勝を達成した。通算獲得賞金は女子歴代1位となる11億4400万3198円。同期には熊谷直樹(引退)らがいる。154センチ、45キロ。血液型A。
◆出産を機に夫・邦博さんが“主夫”でサポート…日高逸子はこんな人
宮崎県の高校を卒業後、県内で就職したが、退職して東京へ。旅行の専門学校へ通い、旅行会社などで働いていたが、ボートレーサー募集のCMを見て一念発起。23歳で福岡支部からプロデビューを果たした。96年に夫の邦博さんと結婚。97年に長女を出産。これを機に邦博さんは会社を辞め、主夫に。99年には次女を出産。05年3月には大村で開催された「第18回女子王座決定戦」でG1初優勝を飾った。
邦博さんが、主夫として家を支え、日高がレースで稼ぐ。この半生は「逆転人生」としてNHKでも放送された。自身のブログ「私はあきらめない」も人気。プライベートではお酒が大好物。ファンからの差し入れもお酒が多い。地元の宮崎県では何度もイベントを開催。日南市特命大使にも任命されている。